資源大国アメリカの確立とシェール革命
2014年、アメリカの石油生産量はサウジアラビアを抜いて世界一に。その躍進を支えたのがシェールガスとシェールオイルの生産量の急増。
シェールガスは1990年頃、シェールオイルは2000年頃から、急激に生産量を伸ばす。
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開発が進んでいなかったシェール層の開発。
その開発がアメリカの産油量世界一へと
押し上げた。
シェールガス開発の歴史①
1976年、アメリカ石油生産量のピークが指摘。
米国エネルギー省によるシェールガス調査開始。
技術的困難が指摘されたのみに終わる。
1980年、地質学者ジム・ヘンリーが興味深い報告を発表。
「テキサス州バーネットには
シェールガス開発の可能性がある」
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バーネット・シェール開発の可能性が示唆される
シェールガス開発の歴史②
ジョージ・ミッチェルがジム・ヘンリーの論文に刺激を受け、開発にのりだす。
1981年、フラッキングという特殊な技術により掘削が開始。
8年間つづけたものの、成果はほぼ出ない。
1990年代に入って、毎年100本掘削を続けるも成果が出ない。
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1990年代後半、特殊な液体(スリックウォーター)が開発され、好転しはじめる
シェールガス開発の歴史③
フラッキングの際に発生する亀裂の音を地震計で計測し、地下の状態を時空的に把握。
これら技術の高度化によって大量のシェールガスが生産可能になる。
2000年ではシェール層で産出される天然ガスはわずか1%が、2012年には39%
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開発エリアもバーネットだけでなく、
ヘインズビル、マーセラスに拡大
シェールオイル開発の歴史
2000年頃、ハロルド・ハムがノースダコタ州バッケンの開発を試みる。
2008年頃、石油価格の高騰という事情もあり大規模な設備投資を実行。
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2014年、バッケン・シェール層から年間100万バレルを超える生産量を実現
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バッケンは「米国のサウジアラビア」
とまで言われるようになる
人物コラム ハロルド・ハム
Harold Hamm
1945年オクラホマ州生まれ
10代で石油業界に飛び込み、21歳で石油会社を設立
いち早くシェールの掘削技術に着目しシェールブームの火付け役
大富豪で保有資産価値は約1兆8千億円(米フォーブス誌調べ)
離婚訴訟では1147億円の支払いを命じられ、これは米国史上最大級(2014年)