スポーツの世界史の中から興味深い記事を紹介していきます。
今回は第二回になります。
前回ではスポーツという言葉の由来「あそび」または「気晴らし」という意味であったことを紹介しましたが、今回は17世紀以降、それが近代スポーツの発祥の地、イギリスでどのように今のスポーツの意味に近づいていったかを紹介していきます。
1599年に『スポーツ宣言』という宣言書が発布されます。これが当時の民衆に喜ばれます。
というのも、キリスト教徒にとっての日曜日は安息日であり、礼拝に行くのはもちろん、そのあとの過ごし方も厳密に定められていました。
民衆は日曜日の娯楽を求めていましたが、『スポーツ宣言』は、この望みをかなえてくれる内容で、ダンスや動物いじめといった気晴らしを認める内容でした。
ただ、キリスト教のルールを厳密に守らせようとするピューリタンの側からは、激しい抵抗が起こりました。
いちばん厳しく規制されたのは、ボウリングでした。
これを風刺して描かれた寓意画には、ボールを投げんとする人は強欲の化身「拝金」、このあそびを誘うものは悪魔として描かれています。
その後も、日曜日に「スポーツ」を認めるか否かで、両陣営の間で反論が繰り返されますが、これを通して「スポーツ」という言葉が広く共有されていく結果を生みました。
18世紀になると、ようやくその抗争も落ち着き始め、その意味が変化していきます。
18世紀では、ジェントルマンが愛好する狩猟、鷹狩り、釣りを示す意味合いが強くなっていきます。
やがてスポーツをたしなむ者こそジェントルマンというニュアンスが普及し、ジェントルマン階級とそうでない人とを区別する役割を持っていきました。
このような背景の中で、狩猟や釣りを趣味とする高貴な人のことを「スポーツマン」というふうに呼ぶようになりました。
スポーツマンとは、ジェントルマンにだけ許される称号として成立しました。
1755年に刊行されたサミュエル・ジョンソンの『英語辞典』では、スポーツという項目に、「遊び、気晴らし」と同時に、「戸外の娯楽を追い求める人」と定義しています。
このような経緯をもって、現在の意味でのスポーツマンに変質していきました。