フリーデンライヒは、ドイツ系2世のブラジル人の父とアフリカ系ブラジル人の母の間に生まれた。
1916年からアルゼンチン、ブラジル、ウルグアイ、チリの南米4か国の対抗戦コパ・アメリカが開かれるようになった。19年の第3回決勝戦で、当時、世界のトップクラスだったウルグアイとの試合でフリーデンライヒが決勝ゴールをあげ、ブラジルをこの大会初優勝に導いた。これを契機として、ブラジル人たちがサッカーに注目するようになっていったという点で、この優勝はサッカー大国ブラジルの礎となる歴史的なものであった。 1934年に43歳で現役を引退するまで、フリーデンライヒはさまざまなチームで活躍したが、ずっと差別に苦しんだ。というのも彼が入っているような高いレベルのチームでは、依然としてほとんどの選手が白人だったからだ。フリーデンライヒは、なるべく白人に近い外見にしようと髪をポマードで撫でつけていた。