19世紀中葉以降、世界の工場と呼ばれた繁栄の時代の中で、労働者階級の生活状況も、特に熟練工においては大きな改善を見ていた。数次の工場法によって、工場労働者の土曜半休日が実現し、実質賃金も上昇した。身体の強壮と男らしさの宣揚は階級を超えてヴィクトリア時代後期の男性の理想と考えられていたし、「筋肉的キリスト教徒」の牧師たちや工場経営者たちは、信者や工員たちを酒や賭博から遠ざける目的でスポーツを奨励した。実際、プロサッカー・リーグ(FL)の発起人となったウィリアム・マクレガーや、FLの初代事務局長で審判としても活躍したC・E・サトクリフは禁酒運動家でもあった。 こうして1870年代頃から、熟練労働者の中にクリケット、サッカー、ラグビーなどを行なう人びとが現れ、中部や北部の工業都市では教会や職場を母体として労働者クラブが生まれるようになった。例えば、中部の大工業都市バーミンガムを代表するクラブ、アストン・ヴィラは、この街のウェズレー派教会の会衆が創設したものである。彼らは1872年にクリケット・クラブを作り、2年後には冬場の娯楽としてフットボール・クラブを追加した。他にも、バーミンガム・シティ、ボルトン、エヴァートン、フラムなどは、もともと教会を母体としたクラブである。マンチェスターでは1880年頃、ランカシャ・アンド・ヨークシャ鉄道の貨車工場労働者たちが中心となり、ニュートン・ヒースFCが結成された。これがマンチェスター・ユナイティッドの前身である。ロンドンでは、1886年、武器工場の労働者たちによってアーセナルが結成されている。どのクラブもかなり早い段階で教会や職場との関係を薄め、クラブとして独立していった。