社会主義時代に最も人気を博したのは、やはりサッカーであり、バスケットボール、ハンドボール、水球などのチームスポーツがそれに続いていた。ユーゴスラヴィアのサッカーの歴史は古く、第1次世界大戦直後の1919年にユーゴスラヴィア・サッカー連盟が設立された。1930年の第1回ワールドカップには、はるばる代表を派遣し、準決勝に進出している。社会主義時代においてもサッカーの地位は揺るがず、1948年のロンドン五輪、1952年のヘルシンキ五輪、1956年のメルボルン五輪で連続して銀メダルを獲得し、そして1960年のローマ五輪ではついに金メダルを獲得した。また、1962年のワールドカップでは4位になっている。ユーゴスラヴィアのサッカー代表チームにとって、1960年代は黄金期であった。日本でもよく知られるイヴィツァ・オシムが現役選手としてユーゴスラヴィア代表チームに加わっていたのも1960年代であり、ベスト8に進出した1964年の東京五輪にも代表選手として参加している。こうしたサッカーの実力と人気を支えたのは、国内のサッカーリーグである。ベオグラードのレッドスターはじめ4大クラブがその中心であり、国内タイトルのほとんどをこの4クラブが占めていた。