ディナモ・モスクワは1945年にイギリス遠征を行ない、カーディフ・シティやアーセナルに勝利している。それに続く時期のディナモ・モスクワの名ゴールキーパーとして活躍したのが、レフ・ヤシンだ。
1929年にモスクワで生まれたヤシンは18歳の時に才能を見出され、ディナモ・モスクワの選手となる。1953年にチームの正ゴールキーパーとなると、ソ連リーグで5度優勝し、さらにはソ連代表チームのゴールキーパーとして56年のメルボルン五輪、そして60年の欧州選手権で優勝、66年のワールドカップで4位と輝かしい成績を収めた。黒いシャツを着て黒い手袋を付けた、腕の長い彼の姿は「黑蜘蛛」とあだ名され、世界のサッカー史上最高のゴールキーパーとしてサッカー・ファンに語り継がれることとなった。FIFAワールドカップで最優秀のゴールキーパーに与えられる賞は「ヤシン賞」と呼ばれている。