1993年、シュトゥットガルト陸上競技世界選手権大会で中国女子選手は1500、3000、1万メートルに優勝する。コーチ馬俊仁にちなんで「馬家軍」と呼ばれ世界記録を打ち立てた。ドーピングの使用が疑われたが、検出はされなかった。1994年、ローマで開催された水泳の世界選手権大会で、中国女子チームは16種目のうち12種目で金メダルを取った。中国選手はふたたび疑惑の対象となり、同年11月に広島で開催されたアジア大会で、ついに中国選手11名(うち7名が水泳選手)がドーピング検査で陽性と判断された。アジア大会の陸上競技で活躍した馬家軍の選手はみな陰性だったが、翌月に多くの選手が馬家軍から離脱した。1995年、趙瑜は馬家軍を取材し、3年後に『馬家軍調査』を発表した。この書はセンセーションを捲き起こしたが、じつは最も肝腎な部分が削除されていた。編集者が馬俊仁と国家の名誉を慮ったからである。馬はその後、2度にわたり馬家軍を再建するが、国内のドーピング検査でひっかかり、シドニー、アテネのオリンピックに選手を送ることができなかった。幻の第14章が公表されたのは馬が引退してから10年近く経った2015年のことである。同書の第14章では、1991年から馬家軍がドーピングを導入したこと、選手たちが身体の変化におびえていたことなどが赤裸裸に記されている。