はじめに
東京の隅田川を遡ってゆくと、北区の岩淵水門で荒川の分流、新河岸川となり川越まで辿り着く。今では住宅地の中の小さな川となった新河岸川であるが、かつては約三百年に渡り、川越と江戸・東京を結ぶロジスティクス、交易の重要手段として、多いに利用された。舟運が始まる以前は外川である荒川に対し、新河岸川は内川と呼ばれた。江戸時代、川越城主松平信綱は、九十九曲りと言われる多数の屈曲をつけ、水量を安定化させる改修工事を実施、川越と江戸を結ぶ新河岸川舟運……
このエントリーを表示する権限がありません。
この情報へのアクセスはメンバーに限定されています。ログインしてください。メンバー登録は下記リンクをクリックしてください。