1.遺伝子の進化
ダーウィンの進化説
突然変異とか自然選択とか︱現代では、世界中のかなりの割合の人間が、“進化論”を受け入れているであろう。目の前で進化をした生き物を見たことがないにもかかわらず、である。進化という現象は、直接的に見ることはできないが、様々な年代の地層から出土される化石や、他ならぬ我々を含む現生生物が示す様々な進化の痕跡が間接的に語りかけている。地層から出てくる化石は過去に様々な現生動物の中間の形質を示す種が存在していたことを示し、我々の持つ様々な器官がその他の生物との相同性を示すことが進化論を強く支持する。(人類の歴史のスケールで考えると)かなり最近になるまで神が生物を作ったという創造論が信じられ、また為政者により強要されていたため、進化論は神に反する論として虐げられていた。しかし時代は移り変わりチャールズ・ダーウィンがガラパゴス島で着想した自然選択説などを取り入れた進化論はますますその信憑性を高め、現在ではほぼ全ての人から科学的には受け入れられている。それでは生物は進化するというこの進化論、本質は一体何なのであろうか。本書では主に魚の興味深い現象を遺伝子との関連を交えて紹介することになるが、そのバックグラウンドとして進化について簡単に解説する。
「遺伝子」には様々な捉え方があるが、狭義には4種の核酸で構成されるゲノムのDNAに存在するタンパク質をコードする情報のことで、それぞれの遺伝子のDNAの配列にもとづいてmRNAが転写され、そのmRNAからタンパク質が翻訳されるという、プロセスを経て機能する。この情報の大元となるゲノムDNAは、何重もの修復機構によって極めて強固に護られているが、放射線や紫外線や化学物質などが暴露されることにより、時として(ごく低い確率で)変異が生じ、DNAの配列が変わってしまうことがある。またウイルスやトランスポゾンといった遺伝子を移動させる能力を持つものや、減数分裂時の不等交差により塊の単位でごっそりと遺伝子が増えることもある。こうやって生物の持つゲノムには多様性が生じる。こうやって生じた遺伝的多様性は、特に有性生殖においては母由来の染色体と父由来の染色体が生殖細胞の中で相同組み換えを起こすことにより無数の遺伝的バリエーションとなるのである。もちろん「でたらめ」な変異はほとんどの場合が個体にとって有害で死をもたらす。 しかし、ある条件下で偶然利益が生じた場合、すなわち適応度を上げた場合には、その形質を持った、つまりその「変わった」遺伝子を持った個体は他の個体よりも、より多くの子孫を残すことに成功する。例えば草を食べる競争相手が多い環境において首を伸ばす遺伝子変異が生じたとしよう。その個体は、結果的に多くの子孫を残すことができ、ひとつの新しい種となって繁栄した。これがキリンである。もちろん、首が長ければどんな時でも有利というわけではない。長い首を作り、メンテナンスするエネルギーが必要になるし、また、低木だらけのところでは首が長いことによって得られるメリットはとても小さくなる。このような理由で、すべての動物の首が長くなるわけではなく、たまたまその場所で、短い他個体に対して適応的であったから、キリンの先祖は長い首という特殊な形質を持った個体が結果的に生存競争を勝ち抜いたのである。首を長くしたことによって、地上に住みながら高木の葉を食べるという新たなニッチ(生態学的地位)を獲得した、ということができるであろう。
このように遺伝子の変異とその後の自然選択によって、生物はそれぞれの環境に適した多様性を獲得してきたのである。 たとえば、魚でも、地味な魚から派手な魚(グッピーなど)、平べったい魚やまん丸な魚など、いろいろな形質が存在することは周知の事実であるが、それぞれの環境における自然選択、性選択、様々な要因によって現在地球上に存在する様々な生き物は、それぞれの環境、同じ空間に住む多種との関係性において最適な形質を示しているはずである。
進化で遺伝子に起こっていること︱脊椎動物と全ゲノム重複
イクラはサケの卵。キャビアはチョウザメの卵。鶏卵はニワトリの卵である。これらの卵が受精してできたひとつの受精卵から個体は作られる。哺乳類もまた例外ではなく、受精卵のひとつの細胞からまるごとの個体が作られる。つまり、我々の手の筋肉の細胞も、脳の神経細胞も、すべてひとつの受精卵の由来であるわけで、受精卵はすべての細胞になる能力(分化全能性)を持っているわけである。そして、細胞は、他の細胞が使う物も含めて、遺伝子(クリックして注釈を表示)をすべてもっているにもかかわらず(一部の嗅覚受容体、免疫関連遺伝子などの、再構成を起こす例外を除く)、筋肉はミオシンやアクチンなどの筋繊維を構成する遺伝子を発現し、目の水晶体はクリスタリン、といった具合に、それぞれの細胞が使う遺伝子を特異的に発現する。つまり、それぞれの細胞で使う遺伝子のみを“選んで”発現している。しかも、必要なときに、必要な量だけを。このような調節機構は、ゲノムDNAがタンパク質を作る遺伝子のみから構成されている、と仮定するとどう考えても不可能であり、それに加えて発現調節に関わる部分がゲノム上にどうしても必要になる。実際に、ヒトのゲノムは30億塩基対になるが、タンパク質そのものの情報をコードしている部分は2%にも満たない、という事実がある。その他の部分には、遺伝子を発現させるためのタンパク質である転写因子(クリックして注釈を表示)が結合することでタンパク質の発現を調節する、調節領域と呼ばれるDNA配列が含まれているのである(本当に何もしていない部分もたくさんある)。図に示したように、タンパク質の発現は、プロモーターと呼ばれるmRNAの転写開始に関与する部分と、少し離れたところ(遺伝子の上流にあることが比較的多い)から調節するエンハンサーなどといったDNAの部位に転写因子が結合することで転写が開始する(図1)。一方で、その細胞では使わない遺伝子の部位は、翻訳領域も含めてメチル化などといった修飾がDNAになされることによって、全体的に転写が起こらないような状態になるのである。こういった複数の仕組みによって、遺伝子の発現調節はなされている。そして、神経細胞(ニューロン)になったり、筋肉になったりしていくのは、受精卵が分裂していく間に、それぞれの細胞が発現する転写因子やDNAのメチル化状態が、発生中の様々な因子や、位置情報によって変わっていくからである。このような仕組みによって、全く同じゲノムDNAを持つ受精卵から分裂したそれぞれの細胞は、全く同じゲノムDNAを持つにもかかわらず、異なる遺伝子を発現するわけである。この逆も可能であり、山中伸弥博士の発見した3つの遺伝子を既に分化した細胞に導入すると、受精卵のように何の細胞にでもなれるような、DNAのメチル化がリセットされた細胞(iPS細胞)が作れる(脱分化する)、というわけである。この発見は未来の再生医療に大変大きな可能性をもたらしたわけであるが、ではここからどのような遺伝子を導入していけば、筋肉の細胞や水晶体の細胞になるのか、などという分化するプロセスは未解明な部分が多く、将来の再生医療の応用に向けた研究が盛んに行われている。
少し話が脱線したが、このようにゲノムDNAには、調節する領域とタンパク質自体をコードする部分があり、細胞によって使う遺伝子を使い分けている。生物の進化は遺伝子の進化、といったが、遺伝子とはいっても、タンパク質自体の配列は思ったよりも変わっておらず、特にタンパク質の中でも重要な部分はアミノ酸として置換されること(非同義置換(クリックして注釈を表示))は極めて少なく、変異が大量に起こっているのはアミノ酸をコードしない部分なのである。例えば、膵臓で作られるホルモンであるインスリンの遺伝子を見てみよう(図2)。
インスリンは、血糖値を下げる作用があり、このインスリンを産生する膵臓の細胞に異常があったり、インスリンの作用する経路に問題が起こると糖尿病になってしまう、極めて重要なホルモンである。インスリンは、ゲノムからmRNAに転写された後、タンパク質(ペプチド)として翻訳される。この前駆体(その物質が完成する前の段階の物質)のタンパク質はプリプロインスリンと呼ばれ、ただの一本鎖のタンパク質である。このプリプロインスリンにはA鎖、B鎖、Cペプチドという3つの部位が含まれ、A鎖―B鎖がジスルフィド結合により架橋され、さらにCペプチドが切断されて取り除かれ、はじめてインスリンとして機能をする。したがって、A鎖、B鎖の配列は極めて重要であるが、Cペプチドはそれほどホルモンの活性(インスリン受容体を活性化できるかどうか)に重要ではない(A鎖、B鎖が物理的にあまりに離れてしまったり、フレームシフト(クリックして注釈を表示)を起こしてA鎖がうまく合成できなくなるなど、インスリン自体の完成を妨げる変異の場合は、Cペプチドといえど許容されない)。したがって、A鎖、B鎖はタンパク質の配列としてメダカとヒトで似通っているが、C鎖はかなり保存性が低い。このように、重要な配列にアミノ酸変異を伴うような変異をたまたま受けた個体は、周りの個体に比べて生存力や繁殖力が弱くなり、淘汰されてしまう。したがって、結果的にタンパク質の重要な部位への変異は、仮に起こったとしても子孫に伝えられることなく淘汰されてしまう(非同義置換はその限りではない)。一方で、タンパク質をコードしない部分(遺伝子の上流や下流やイントロン)はかなり変異が起こりやすく(変異を受け入れやすい。有害な形質とならず、変異がそのまま子孫に伝えられる。)、メダカとヒトの間でまったく異なる配列になっている。しかし、この上流配列であるが、転写因子が結合する部位もあるため、極めて重要なところ(これは、飛び飛びの短い配列であることが多い)は、保存されている。実際に、一見まるで違って見える上流配列だが、別の動物に導入しても有効だったりする。筆者の知る例では、ゼブラフィッシュのCardiac Myosin Light Chain-1 (CMLC;心筋で発現する)遺伝子の上流配列にGFPを繋げたコンストラクト(人工的なDNA)をメダカに導入すると、メダカでもちゃんと心筋が緑に光り、GFPの発現を確認することができる(図3)。すなわち、ゼブラフィッシュとメダカという、約2・5億年も前に分岐(クリックして注釈を表示)し、上流配列が見た限りではまったく変わってしまった二つの種間で、本当に転写制御に必要な部分はきちんと保存されているのである。このように、明確に類似した配列を示すタンパク質の翻訳領域と異なり、調節領域の配列は一目見ただけでは見つけることはできないが、機能的には保存されているのである。頭で考えても、なぜこのような配列になっているのか、ということはなかなか説明できない。それは、生物は誰かが意図してプログラムを書いて作ったものではなく、長い歴史の中で途方もない数のトライアンドエラーを繰り返した結果である、と考えると納得できる。
こういった調節に関わるゲノムの配列に変異が入れば、タンパク質の機能自体は同じでも、発現の強さやタイミングなどが変化してくるだろう。たとえば、同種の生物の中でも、生まれつき筋肉量が多い、あるいは、腕が長い、脚が長いなどの個体差がある。また、魚の世界を見回しても、ヒレの長い魚から、短い魚まで、様々だ。こういった長さや量などの多く問題は、その組織をつくるタンパク質自体そのものに起こった変異では説明できず、エンハンサーなどの発現調節配列が変わることにより、転写のタイミングや量が変わってきたことによって生じているのである。
このように、身体を構成するタンパク質そのものの変異と、その発現調節領域の変異によるふたつの進化があり、それぞれが突然変異を蓄積していく。種の定義は非常に曖昧で、当然ながら、同種の中でも遺伝的多型は認められており、それがヒトであれば顔つきの違いであったり、遺伝的な得手不得手(オリンピックの陸上選手と我々が同じ遺伝子だとはどうしても思えない)の要因になるわけである。それでは、種とは何か、という疑問が生じるのだが、これは様々な考え方があり、一概に「同種」「別種」ということは極めて難しい。ただし、少なくともいえることは、地理的隔離や、生殖的隔離(同じ場所に生息していても、配偶行動を行わない)が起こり、一度交雑が起こらなくなってしまえば、二つの異なる集団として、別種としての歩みを始めることになるのであろう。どこからが別種という明確なラインを引くことは難しいが、交配させて仮に子供が産まれても、その子が必ず不妊になる場合は明らかに別種として認められるであろう。例えば、ライオンとヒョウの一代雑種であるレオポン(leopard+lion)や、ライオンとトラの一代雑種のライガー(lion+tiger)などがそれに当たり、ライオンとヒョウ/トラは別種であることの根拠にもなる。
新しい遺伝子のうまれかた
さて、 「アイデアは既存の要素の新しい組み合わせ」(ジェームズ・W・ヤング『アイデアのつくり方』)ということは一般的によく指摘されることである。本当に何から何まで新しいことなど、世の中にはほとんど存在しない。だからこそ過去の知見から学ぶことが必要なのであるが……。さて、この「既存の要素の新しい組合せ」という概念は、遺伝子の進化についても近いことがおこっていると考えられている。生物は突然変異によって新しい遺伝子を獲得すると述べた。では、ランダムな変異だけで新しい遺伝子をまるまる作るとしよう。これは、サルにタイプライターで意味の通じる文章を書かせるような、大変確率の低いことである。これでは、これだけ多くの遺伝子が進化したことが説明できない。しかし、そのサルのタイプライターにコピーアンドペースト機能がついていたらどうであろうか。コピーアンドペーストのあとにランダムに変異を挿れていく、ということであれば、より早く、効率的に新しい遺伝子ができるのである。This is a pencil.という文をランダムに打つよりも、すでにあるThis is a pen.をコピーし、それに修正を加えたほうが圧倒的に早くThis is a pencil.という文ができる。
遺伝子の進化においても、この文章の例のように、ランダムな変異だけではなく既存にある遺伝子を再利用して、新しい遺伝子ができると考えられている。そして、コピーが利用された、という根拠は、我々生物のゲノムに複数残されている。一つ目の根拠は、「遺伝子ファミリー」というふうに、複数の遺伝子が似た配列、構造を持っていることでグループ化できる、という事実である。成長ホルモンとプロラクチンという同一ファミリーに属するとされるホルモンを例に考えよう。我々脊椎動物の成長ホルモンは、脳下垂体前葉から血中に放出され、全身の成長や代謝をコントロールする。一方で、同じ「成長ホルモンファミリー」というグループに属する「プロラクチン」と呼ばれるホルモンも、成長ホルモンと同じく脳下垂体前葉の別の細胞から放出されるが、成長ホルモンの持つ成長や代謝に関する機能とはあまり関係がなく、哺乳類では乳腺の分化や乳汁合成などに関わる。このように、全く異なる機能を持つふたつのホルモンであるが、その構造は極めて類似していることが、立体構造解析の面からも、そして、タンパク質の一次構造である遺伝子の相同性に基づいた系統樹から見ても明白である。この例から考えても、極めて類似した構造が独立してゼロからランダムに生じた、というよりも、ひとつの完成品からコピーができて、片方が元の働きをしている間に、もうひとつのコピーが変異を蓄積し、新しい機能(別の受容体に対する結合能)を得た、あるいは、役割分担をするようになった、と考えるのが自然であろう。
もうひとつの根拠もやはり現生生物のゲノムDNAに残されている。それは、簡単に言ってしまえば、遺伝子の並び順である。一般的には遺伝子はゲノム上に並んでいるが、この並び方というのは比較的保存されやすい傾向がある(転座などといった遺伝子の位置が変わるイベントは生物の長い進化の途上でしばしば生じていることではあるが)。たとえば、遺伝子ABCと並んでいる遺伝子座(遺伝子がある位置。特に何個の遺伝子が並んでいれば遺伝子座、という明確な基準はないが、概ねゲノム上での数十個くらいのまでの遺伝子の集団を指す)が重複した場合には、遺伝子a1、b1、c1とa2、b2、c2という遺伝子座が生じることになる。その後の例えば a1、b2、c1が正常に機能している場合a2、 b2、c2に関しては、仮になくても障害は起こらない。コピーがちゃんと働いているからである。そうすると、a1/2、b1/2、c1/2のいずれかに変異が蓄積しても生存に問題がないので、これらに突然変異が生じた個体も、他の個体と遜色なく生活を営み、子孫を残すことができる。そうすると、これらの変異を含んだ新しい遺伝子が生じるのである。このように、それまでの仕事を丸々もう片方に任せてしまい、代わりに新しい機能を獲得することがある(neo-functionalization)。先程のプロラクチンと成長ホルモンの関係は、おそらくこの例に当たるであろう。一方で、一度どちらかのコピーが壊れ始めてしまうと(non-functionalization)、もう一つのコピーはまた一人っ子に戻ってしまうので、頑張り続けなければならない。したがって、一般的には遺伝子重複後に、新しい機能を持った遺伝子が生じることもあれば、元の木阿弥になってしまうことがある。もう一つのケースとしては、元々あった複数の機能に関して、ある機能はこちら、ある機能はもう一つが分担、となったり、同じ働きでも組織(脳と肝臓など)やタイミング(稚魚期と成魚期など)において分担するなどという具合になることがある (sub-functionalizationと呼ばれる)。ここで説明してきたことは、あたかも方向性をもって進化しているように見えているわけであるが、無論、進化に意図や意志はなく、ただ、まずいことになってしまった場合に死滅したり、より有利な形質をもつ別の個体によって淘汰されてしまう、膨大なトライアンドエラーの結果であることには変わらない。遺伝子重複と、その後の3つの運命について、簡単な図に示した(図4)。
全ゲノム重複で何が起こるか︱脊椎動物の1-3R WGD
脊椎動物の1-3R WGDと「魚」
我々の一般的に魚と呼ぶものは何であろう。魚のイメージといえば水の中にいてヒレがあり、エラで呼吸をしている。そういったイメージを多くの方が抱くであろう。脊椎動物の中で、これらの形質を持つものは、軟骨魚綱、および、条鰭類と、肉鰭類の一部(ハイギョ、シーラカンス)、脊椎動物の基部に生じたと考えられている無顎類である。そして、ヒレが腕へと進化した我々四肢動物を、“魚”とは認識しないであろう。つまり、この“魚”という呼び方は、我々の都合による複数の集団をまとめた呼称であり、一つの系統的にまとまったグループ(単一系統)を示すものではない。複数の系統にまたがるものを、経験的にまとめてそう呼んでいるのだ。分類学的には(現生生物では)軟骨魚綱、硬骨魚綱が魚を冠する分類となり、この硬骨魚綱には、我々四肢動物も含むのである。つまり、我々も魚である。そう言い始めると、本書は脊椎動物のほとんどの種について触れなければならなくなってしまうので、本書では一般的に魚、と呼ばれるものの中で、比較的馴染みの深い軟骨魚類と硬骨魚類(四肢動物を除く)、無顎類について、遺伝子と生態の関係について様々な興味深い現象を、それぞれの分野の専門家が最新の知見を交えて紹介していく。
脊椎動物の中での魚の系統分類上での位置づけを説明する。脊椎動物は、大きな分類としては、動物界脊索動物門の中の脊椎動物亜門に分類される(図5A)。この脊索動物亜門は、前後軸に伸びる脊索を発生させる特徴を持つ。この脊索は、脊索動物門の一部である脊椎動物亜門の一部では個体発生の際に脊椎に置き換わる。しかし、我々ヒトも含め、初期にこの脊索という器官を利用する点は、脊索動物門として、必須の発生様式なのである。そして、脊索と並行する神経管を持ち、その一部が膨大することにより中枢神経系を形成する。この膨大部を我々は「脳」と呼んでいる。この特徴的な神経管由来の中枢神経系をはじめとして、脊索動物門は様々な共通した性質、ボディプランを示す。(人それぞれではあるが)直感的に昆虫やウニ・ヒトデ・ゴキブリなどに比べれば、魚に親近感を感じるのも、実際に脊索動物・動物に共通した構造を持っているからであろう。
脊索動物門の中では、脊椎動物亜門が現在では特に繁栄しており、この中にはもちろん我々ヒトや本書のテーマであるすべての魚も含んでいる。脊椎動物には共通した遺伝子が多く用いられているが、前述の遺伝子重複には、1~2遺伝子のみのローカルな遺伝子重複に加えて、全ゲノムが重複するという現象が知られている。全ゲノムが重複すると、すべての遺伝子が、それまで致死的だった変異への制約から自由になり、片方が何をしてもかまわない、ということになる(neo-functionalization、sub-functionalizationを起こす可能性が生じる)。この状態は、一気に進化速度が上がるだろうということは想像に難くない。この全ゲノム重複は植物でかなり多く頻繁にみられるが、動物では数えられる程度しか見られない現象である(そこには、遺伝子が倍になる=重くなることが運動性に大きな問題を生じさせる、といったことがあるのかもしれない)。実際、脊椎動物においては、把握できる程度の数しか全ゲノム重複は起こっておらず、脊椎動物の生じる前に2回の全ゲノム重複が起こり、また真骨魚類と呼ばれるいわゆる我々の食卓にのぼる魚が生じる少し前にもう一度全ゲノム重複が起きている(図5B)。(注:アフリカツメガエルや、コイ科、サケ目など、ところどころでさらに全ゲノム重複が起こっている。) 全ゲノム重複がおこれば一つの遺伝子セットはそのままに、余ったもので新しい機能をどんどん獲得していくことができる。真骨魚類は多様性が高いと言われることがあるがその原因の一つとしてこの遺伝子が重複にしたことによる進化の自由度の上昇もあるのかもしれない。
この、遺伝子はコピーから始まること、そして脊椎動物の進化の途上で三回の全ゲノム重複が起こった(3R仮説)、という仮説は、大野乾博士が提唱し、1970年に出版した著書、「Evolution by Gene Duplication」で広めたものである。当時はポリメラーゼ連鎖反応(PCR)と呼ばれる現代の遺伝子解析には不可欠な技術も、遺伝子配列を決定するジデオキシ法もまだ開発されていない時代である。彼は、細胞あたりのDNAの重さを種間で比較した、真骨魚類は細胞あたりのDNAの重さが重い、ということをヒントに、この仮説を提唱したのだった。今となっては先見の明、という一言で終わらせてしまうのも恐れ多いほど、実に的確な仮説である。この仮説はその後に遺伝子の配列が明らかになるにしたがい、かなり確からしいものとして証明されてきた。さらにその後に様々な脊椎動物、脊索動物の全ゲノムが決定され、シンテニー解析をゲノム全体で行うことにより、現在では3R仮説は正しい、と考えられている。
系統樹と生態
分子の相同性から生物の系統関係を知る
先程、生物の遺伝子は、時間が経つと変異がある一定の確率で蓄積されていくと述べた。その変異が個体にとって有害であれば、子孫を残すことができず、固定されず、たまたま無害なもの、あるいは有利だった場合にその変異が固定される。最初は個体間での差だったものが、地理的隔離や生殖的隔離によって別種として歩み始めれば、それぞれの先祖がもっていた配列が、子孫となる別種の共通の配列として残されていくのだ。こういった遺伝子の配列・タンパク質の配列の違いは、種が分岐してから経った時間が長ければ長いほど大きくなっていくことは想像に難くない。たとえば、ヒトとチンパンジーの間の遺伝的な差というものは、当然ヒトとマウスの間よりも小さい。裏返せば、種間でのある遺伝子の配列にどれだけの違いがあるか、ということを数値として示し、複数の種間で比較すれば、その種間がどれだけ離れた生物であるか、ということを予想することができる(分子時計と呼ばれる)。離れれば離れるほど、変異が蓄積しやすくなっていくので、遠い系統を比較するときには保存性の高いタンパク質の変異の蓄積を解析する。一方で、同種内やごく近縁の種間での解析の場合、あえて変異を受け入れやすい、機能を持たないゲノムDNAの配列を使うこともある。こういった遺伝子の配列が安易に解読できるようになるまでは、形の似ている生物を近い種として系統樹をつくっていた。これら分類学者の観察眼は極めて的確で、ほとんどの場合、遺伝子配列による系統解析はこの古典的な系統樹を裏付ける結果となったが、一部、形態は異なっているが実は近縁種だった、などという例も見つかってきている。
化石年代の推定と系統樹
創世記では、神が「神は言われた、『わたしたちの像に、わたしたちと似た様に人を造り、彼らに海の魚と天の飛ぶ生き物と家畜と全地と地の上を動くあらゆる動く生き物を服従させよう。』」(創世記1:26)との記載があるが、このお話は、地面を掘ってわかってきた状況とつじつまがあわなくなってくる。発掘される化石の“古さ”がまるで異なるのである。例えば約1300万年前の類人猿の化石が見つかれば大ニュースになる一方、魚の化石は4億1900万年前のものが見つかるとようやくニュースになる。すなわち、魚は大昔から、そして、類人猿のような生き物は比較的最近出現したのではないかということが示唆されるわけである。この比較的よく聞く何万年前の化石、というのはどうやって知るのであろうか。これには放射性同位元素を用いた年代推定がよく用いられている。最もよく知られている放射性炭素年代測定を例に説明しよう。炭素12Cは紫外線や宇宙線によって空気中では、一部(1/1012)が常に14Cに変換されている。 つまり大気中では いつの時代も1兆個の炭素原子のうち1つが14C、残りが12Cという割合なのである(太陽活動の変化などにより若干のブレはある)。しかし一旦生物の体内に炭素が取り込まれ、そしてその生物が死に、地中に埋まってしまえば、もう宇宙線も紫外線も当たらないので、14Cへの変換は起こらない。ここで14Cは放射性同位元素であることに注目したい。14Cは約5730年で半分が崩壊し12Cに変換される。したがって、14Cの比率でいつその物質が地中に埋まったのかがわかるのである。
ただし、この放射性炭素年代測定では、14Cの検出限界の関係で、せいぜい6万年が限界である。それより昔は火山岩に含まれる物質の、やはり放射性崩壊の半減期を元に推定される。たとえば、K-Ar法では、40Kが40Arに13億年の半減期で放射性崩壊することを利用する。溶岩からできたての火山岩か、あるいは何億年も経ったものかを調べることができる。40Kは岩石中に元々大量に存在するため、差異を検出することは不可能だが、40Ar(常温で気体)は大気中には微量しか含まれないため、岩石中に封入された気体の中の40Arの含有率を計測することにより、その岩石の古さがわかる。当然、40Arの率が高い物が古い岩石である。
このように、複数の放射性元素の崩壊の半減期から地質年代というのは推定される。この地層や化石の絶対年代を元に、この系統の生物は何億年前から存在していた、などというような推定がなされるわけである。
実を言うと、地質年代という概念は、こういった20世紀の放射性元素を用いた方法が開発される前から存在した。それは、古い物は深い地層から出てくる、そして、ある年代に特徴的な生物の化石(示準化石)が存在すること、である。これにより、たとえば、ある種のアンモナイトを含む層であったから、白亜紀であったなど、というふうに、いちいち放射性同位元素の含有率を定量せずとも推定が可能である。これらの化石を元にした分岐年代推定と先述の分子時計、形態の差など、様々なことを考慮し、系統樹は作られているのだ。
大陸移動と動物の系統
ウェゲナーが大陸移動説に気づいた、といわれているのが1910年。たった百年前である。この大陸移動という地球レベルでの現象は、脊椎動物の進化と切っても切り離せない関係にある。なぜならば、タイムスケールとして脊椎動物の進化と重なっているからである。脊椎動物誕生が約4〜5億年前、真骨魚類の誕生が約3〜3・5億年前、最古の哺乳類の化石は2・25億年前のものである。特に、魚類はその間淡水魚と海水魚が複数誕生し、様々な時期に、様々な淡水魚の系統が「閉じ込められた」ような状況になってもいるのだ。それに対し、巨大大陸パンゲアが、ふたたび分裂し、移動を開始したのが2億年前。この大陸分裂、移動がどういったタイミングで起こっているかは、淡水や陸上に住む生物にとっては大きな影響を与えている(図6)。たとえば、オーストラリアは特殊な生態系を示すことでよく知られている。哺乳類の中で、単孔類のカモノハシやハリモグラが生存し、カンガルーやコアラをはじめとする有袋類が大いに繁栄している。現生の有袋類は、元々南米大陸でうまれ、6000万年前頃に当時陸続きだった南米-南極大陸-オーストラリア大陸と移動した、と考えられている(注:南米にもごく少数ながら有袋類が現存しており、これらのゲノム解析・比較から、オーストラリア・南米で現生の有袋類の共通祖先は、実は南米で生まれ、当時陸続きだった南極大陸を経て、オーストラリアに至ったと考えられている)。3500万年前には、オーストラリア大陸は完全に孤立し、哺乳類では単孔類と有袋類が存在することとなった。一方で、オーストラリア・南極・南米大陸が隔絶された後にローラシア大陸で誕生した真獣類(有胎盤類)によって、単孔類はオーストラリアを残して、有袋類はオーストラリアと南米を残して駆逐されてしまった。なお、南米大陸も永らく隔絶状態にあり、300万年前になってはじめて北米大陸と陸続きになったため、それ以降に真獣類が流入、かなり多くの有袋類が滅ぼされた。現在では、オポッサム類が生きながらえている。
これら、有袋類と真獣類は独立した場所で非常に近いニッチ(生態的位置)を得ることがある。有袋類のフクロオオカミやフクロモモンガと、真獣類のオオカミ・モモンガはまさにその好例で、長い歴史の中で、二回独立して同じような形態に進化した(収斂進化した)、という、適応進化の興味深い例を提供してくれる。当然、このようにニッチがかぶってしまう場合は特に、種間競争になってしまい、どちらかが滅ぼされてしまうことが多い。
近年、オーストラリアには人間によって真獣類が持ち込まれた。オオカミや犬の仲間であるディンゴは、オーストラリアの先住民であるアボリジニによって持ち込まれ、野生化し、相対的な適応度(繁殖力や生存力を含む、子孫を残していく力)の高さゆえに、元々オーストラリア大陸にいたフクロオオカミを絶滅に追い込んだ。300万年前、北米大陸と陸続きになった南米大陸におこったことを、人類は今再現実験を行おうとしているような状況である。もちろん、地球の自然な状態を保護する、という観点から、大変好ましくない実験である。
魚の進化でも、特に淡水魚については大陸移動の影響を考えなくてはならない。カラシン目(ピラニアやネオンテトラ)は、南米で繁栄しており、アマゾンを代表する魚、といっても過言ではないだろう。カラシン目は、1600種を越えており、スズキ類、コイ目、ナマズ目に次いで4番目に種数の多いグループとなっている。カラシン目、というとイメージがわかないかもしれないが、個々の魚種について一度は名前を聞いたことがあるのではないだろうか。小さくて綺麗なネオンテトラから、鋭い歯を持つピラニア、巨大なパクーまで、我々の食卓に上ることはほとんどないものの、いわゆる「熱帯魚」としてかなりポピュラーな魚が多く含まれている。ここで、魚の系統について、簡単な図を示した(図7)。本書ではしばしば魚の系統分類上の位置関係が重要になってくるが、この図を参照していただければ理解しやすいと思う。
このカラシン目は1・5〜1億年程度前にコイ目と分岐し、誕生したと考えられているが、この頃はゴンドワナ大陸が分裂し、南米大陸とアフリカ大陸に分かれるか分かれないか、というような状況であった(1億年程度前にアフリカと南米は離れた)。したがって、カラシン目はアマゾン川=南米大陸での繁栄が有名で、そのイメージが強いが、カラシンの仲間は現在のアフリカ大陸にもいたはずであり、実際今も一部現存しているのである。系統樹をみてみると、アフリカ型のカラシンは、アメリカ型のカラシンの一部と系統樹が近くなっている。これは、カラシンは、南米・アフリカがくっついていた時期に誕生し、ある程度分岐したところで南米とアフリカ大陸が分断され、それぞれの独自の進化を遂げた、ということを意味するのであろう。また、おそらくピラニアなどの含まれる科も、アフリカにも本来いたのではないかということが、系統樹から読み取れるわけである。もう一つの可能性としては、カラシン目の一部の系統が、塩水耐性を獲得し、海を渡ってアフリカの川を渡り、そして再び淡水魚として定着した、ということも考えることができる。ただ、現存する骨鰾上目(コイ、ナマズ、デンキウナギ、カラシンなど)は、ほとんど全てが淡水性であることから(例外はゴンズイなどごく一部)、海を渡ったというのは考えづらく、前者の説を確からしいと私は思っている。いずれかの仮説が、今後化石の発見などで否定されるかもしれないが、このように、遅くともいつから存在していたかを示す化石と、どの生物とどの生物が近縁であるか、ということを示してくれる遺伝子という、生物が与えてくれるヒントから、少しずつ過去に生物が辿った歴史がわかってくる。この二つを指標に、太古の昔から生物がどのような足取りで分布してきたのか、という歴史に思いをはせるのは、過去を見ているようでワクワクしてくる。
もう一つのおもしろい例はアフリカの大地溝帯にある。アフリカの大地溝帯とは、アフリカ大陸同士が、左右に分断しようとする動きによって生じた大きな溝である。これも大陸移動によって生じたものであり、である。およそ1000〜500万年前から始まっているとされ、この割れ目に水が溜まり、巨大な湖ができた。これらは、地理的には近接しているものの、それぞれが独立しているため、ここでは閉ざされた空間としてそれぞれに固有種が数多に存在する。特にアフリカンシクリッドと呼ばれるスズキ目の魚のグループに関しては、種分化などのモデルとして、すぐれた研究材料になっている。詳細は、第4章をお読みいただきたい。
もちろん、海はひとつながりであるから、この大陸移動の影響を余り受けない。(短い時間を考えれば、太平洋と大西洋はほぼ隔絶されているが、長く考えれば、温暖と寒冷を繰り返したり、生物が進化を繰り返して様々な地域に適応しているので、結局行ったりきたりすすることが不可能なわけではないわけである。一方で、陸生生物は泳ぐのが苦手であるし、淡水魚は海を渡ることができない。ちなみに、淡水魚が多いが塩水適応が比較的得意な系統というのも存在し、たとえばメダカの仲間は塩水適応、淡水への封鎖を繰り返して、アジアの各地に散らばっている。13章参照。)、
現生生物から推測される進化
脊椎動物の共通する構造
さて、我々と魚。当たり前だが、いろいろと違うところがある。魚といえば、鰓で呼吸し、ヒレで泳ぐ。一方で、我々は(ヒトは二足歩行であるが)、四肢で陸上を歩き、肺を使って酸素を取り入れている。軟骨魚類は硬骨性の内骨格を持たず、硬骨魚綱は我々も含めて硬い骨を持っている。一方で、魚も我々も脳があり、そこで(程度の差はあれ)思考したり、本能行動や反射を司っている。(雌雄同体などの例外を除いて)雌雄がそれぞれ精子と卵をつくり、受精することで子孫を残す。こういった相違点や共通点はいくつか思いつくだろう。特にこの相違点が生じた経緯について、脊椎動物の歴史を追って考えていこう(図8)。
⑴脳︱脊椎動物(脊索動物)は、神経管と呼ばれる一本の管から神経を作る。この神経管の膨大部が脳となるわけだ。この発生の仕方は、昆虫のハシゴ神経系や、クラゲなどに見られる散在神経系とは異なる独特のもので、いわゆる我々が“脳”と呼んでいるものに関しても、昆虫の脳と脊椎動物の脳は大きく異なる(図9)。この神経管を由来とする中枢神経を持つグループは、我々や魚類などの脊椎動物やホヤ・ナメクジウオなどの原索動物を加えた脊索動物門のみなのである。したがって、この脊索動物で既にできあがっている神経管由来の中枢神経系が、長い歴史の中でそれぞれの生態に応じた進化を成し遂げたことでできあがったのが我々や魚類の脳なのである。原始的な性質を残す脊椎動物と考えられている現生の無顎類は、終脳、間脳(視床下部等を含む)、中脳などの構造を持つ一方で、小脳を持たない。したがって、高度な運動を制御している小脳を欠くヌタウナギやヤツメウナギは、アジやウナギのような泳ぎ方をすることができず、海底の死体や、他の魚に張り付いて体液を吸うなどとして生きているのである(後述の通り彼らにはヒレもない)。しかし、小脳になるマーカーの遺伝子はヤツメウナギやヌタウナギでも発現しており、脊椎動物の脳の原型のかなりの部分は脊椎動物の基部ですでにできているようである。
⑵ヒレ・四肢︱ヤツメウナギやヌタウナギは無顎類といわれるとおり、顎がないことに加え、我々の四肢にもなる対鰭(胸びれと腹びれ)がない。対鰭の発生には、四肢の形成時に発現してくるソニックヘッジホッグの発現を引き起こすエンハンサー(ZRS)が必要で、このエンハンサーは顎口類の中でもヘビやアシナシイモリなど、足のない動物では欠いており、このエンハンサーを含む領域をマウスでノックアウトすると、足のないマウスができあがることもわかっている。それでは、と、ヤツメウナギを調べてみると、やはりこのエンハンサーを持たないことから、顎口類の誕生前後に、このエンハンサーをなんらかの要因で獲得したことにより、脊椎動物は鰭を獲得し、そして陸上化の際には四肢になったのであろうと考えられる。現生の無顎類は、無顎類の中でも一部の円口類しか現生しておらず、多くは絶滅した化石種である。彼らもまた顎口類と分岐してから同じだけの時間を進化し続けている現生生物であることから、無顎類の共通の形質として確信的な結論を導き出すことは難しいが、現時点でのもっとも確からしいと思われる説明をここでは記した。(詳細は第3章参照)
⑶浸透圧調節、骨、顎、肺︱さて、浸透圧適応の仕方も脊椎動物の進化で変遷を遂げている。無顎類、円口類の一種であるヌタウナギは、海に住んでいて、貝やイカなどの無脊椎動物と同じように、海水と等張(我々の約3倍の塩分濃度)の体液をもつ。したがって、海水の中にいても、水分やイオン(塩分)を奪われることがない(別の円口類であるヤツメウナギは淡水適応している。これは、いわゆる一般的な淡水魚とは収斂進化の関係にあり、顎口類の淡水適応とは全く独立した適応進化である)。
その後、脊椎動物は顎を獲得した。これらは顎口類と呼ばれ、現生生物では円口類を除いた全ての脊椎動物は顎口類である。顎口上綱(顎口類)の特徴は、顎に加えて、ニューロンのミエリン化(跳躍伝導を可能にし、素早い情報伝達が可能になった)、免疫グロブリンを中心とした獲得免疫(水疱瘡や麻疹に二回はかからないことや、アレルギーなどに強く関与)を持つことである。現生の顎口類では顎、ミエリン鞘、獲得免疫を二次的に失った顎口類はおらず、これらの獲得が顎口類の繁栄を助けた必須要素であったことは想像に難くない。現存の顎口類で最も起源の古いのは軟骨魚綱である(起源の順番には諸説ある)。彼らはその名の通り我々のような硬い骨は持たない。そして、興味深いことに、海水よりも低いイオン濃度を示すが、その代わりに尿素を体内にため込んで海水と等張にすることにより水が逃げないようにしている(詳細は第2章を参照)。そのため、サメやエイの肉は古くなるとアンモニアが大量に生じてしまうことになる。この性質を利用し、韓国では、ホンオフェと呼ばれるガンギエイを発酵させた郷土料理が存在、世界の強烈な臭いの食べ物ランキングの上位に常にランクインしている。一方、日本の一般的な食卓では、硬い骨がないから食べやすい、といってサメ肉を好んで食べることはあまりないだろう。それは、尿素が分解されてすぐアンモニア臭くなってしまうからだろう。一度強烈な臭いに悶絶してみたい(クリックして注釈を表示)。
内骨格がすべて軟骨出てきている軟骨魚綱に対し、硬骨を内骨格とするグループが硬骨魚綱である。硬骨魚綱とは、硬骨の内骨格を持つ単一系統と定義した以上、我々四肢動物を含むことになる。ヒトを含めて魚と呼ぶことに抵抗があるかもしれないが、現在の系統分類学の趨勢から、本書では、ヒトも含めて硬骨魚綱という立場を採る。硬骨魚綱の特徴は、その名の通り、硬い骨を持つこと、そして肺を持つことである。また、体内のイオン濃度が軟骨魚類同様に海水よりも低くなっているが、硬骨魚綱は尿素を蓄積していない。事実、世界最強とも言われる強烈な臭いシュールストレミング(スウェーデン)は、やはり悩殺される臭いではあるが、その臭いはアンモニアの臭いではないし、一般的に食卓にのぼるアジやイワシも、ちょっと古くなったくらいでアンモニアの強烈な臭いに苦しむことはないであろう。それもそのはずで、海水に棲む真骨魚類は、尿素を蓄積する代わりに、主にエラの塩類細胞で塩分を排出している。それでは、なぜ真骨魚類はこのようにエネルギーを使って海水中のNa+やCl-イオンを排出する仕組みになったのだろうか。硬骨魚綱の特徴は、海水よりも低い浸透圧、肺、そしてその名の通りの硬い骨である。この三つの特徴は、我々硬骨魚綱のルーツが、実は海ではなく、淡水にあることを示唆している。どういった経緯で、この共通形質を手に入れたかを考えていこう。
真骨魚類は海水よりも低い浸透圧の体液を持つ。海水環境でエネルギーを消費しながら、エラから塩分を常に排出する仕組みを獲得していく積極的な理由は考えがたい。これらのことを考えると、我々の祖先は、何世代もかけて海水からおそらく徐々に汽水に適応していったのだろうと想像できる。その後、あるとき、淡水に閉じ込められてしまったが、その中でも生きていける進化を遂げていたもののみが生き残った。淡水環境は、海と異なり、水は循環しておらず、酸素分圧が低い。そこで、肺を獲得した。もちろん、肺はその後の四肢動物の陸上化に直接的に役立ったわけだが、その後酸素分圧の高いところに移り住んだ真骨魚類は肺が不要になってしまった。そこで、彼らの肺は鰾として浮力調節に利用し、素早い動きが可能になったのである。一方、生物のシグナル伝達に必須な二価イオンであるカルシウムイオンが淡水にはほとんど存在しない。カルシウムイオンは、神経伝達物質の放出からアポトーシスに至るまで、数多の生命現象に関わっており、カルシウムイオンなしに我々の生命はあり得ない。しかし、淡水環境に閉じ込められた我々の先祖は、ひと雨ふた雨降る度にどんどんと環境中のイオンが失われていき、ここで自然選択が起こった。このカルシウムイオンを貯蔵する能力を獲得したものだけが生き残ったのだ。硬骨魚綱は、その名の通り、硬い骨を持ち、そのおかげで結果的に陸上化することができた。しかし、硬骨の意味は、身体を支えることとは二次的に生じたことで、おそらくカルシウム欠乏を防ぐことがそれ以上に必須であったのである。我々の躯幹および四肢のほとんどの骨は、発生の段階では軟骨として形成され、その後にリン酸カルシウムを蓄積させることにより、硬骨化している(直接形成される硬骨もある(クリックして注釈を表示))。リン酸カルシウムは、(無脊椎動物の貝などが蓄積する炭酸カルシウムと比べて)カルシウムイオンとして取り出しやすい形で蓄積することができる。実際に、硬骨の内骨格を持たない軟骨魚類ではこのリン酸カルシウムを作るのに必要な遺伝子(分泌性カルシウム結合性リン酸化タンパク質)を持たないことがわかっている。ここでもまた重複遺伝子の使い回しが行われており、脊椎動物誕生時に獲得していた分泌型リン酸化タンパク質が重複し、硬骨魚綱では変異が蓄積し、カルシウムと結合する機能を獲得、分泌性カルシウム結合性リン酸化タンパク質となったことがわかっている(図10)。
このように、硬骨魚綱というグループは、我々も含め、肺と硬骨を持っている。共通祖先の「水たまりの魚」は、その後、二つに分岐したと考えられている(詳細は第3章参照)。肉鰭類と条鰭類である。その名の通り、肉のような鰭(我々の四肢に相当、英語だとsarcopterygii;sarco肉の+pterygii翼)を持つものと、条の鰭(英語だとactinopterygii;actino放射形の+pterygii翼)を持つものである。肉鰭類の中でも原始的なハイギョやシーラカンスは魚の形質を残しているが、肉鰭類で現在種数・個体数の上で繁栄しているのは四肢動物である。一方で、条鰭類は、原始的なものとしてはポリプテルス目、チョウザメ目、ガー目、アミア目が現存する。彼らは、ガノイン鱗と呼ばれる鎧のように堅い鱗に囲まれ(ガノイン鱗には我々の歯のエナメル質をつくる遺伝子と相同な遺伝子が発現しており、歯で身体を覆われているようなイメージで、当然極めて強固である。)、そして、一般的に肺での呼吸が優勢である。泳ぐ姿を見ていると、時々水上に出て呼吸する様子が見られる(図11)。
それ以外はすべて真骨魚類である。真骨魚類は、3回目の全ゲノム重複を経験しており(3R全ゲノム重複)、それによってひとつの特徴的なグループができあがったと考えられている。この真骨魚類が、一般に「魚」と認識されているもののほとんどであろう。原始的な条鰭類がもっていたガノイン鱗はなくなり、いわゆる一般的な鱗(軟鱗とも呼ばれる)をもっている。物理的衝撃には弱いが、遊泳には圧倒的に有利になっている。また、肺は空気呼吸としての機能を失い、浮力調節としての鰾となった。このようにしてできた真骨魚類は、概して高い運動能力を持ち、ここから3億年以上の長い時間を辿りながら、様々な種として、海へ、川へ、湖へと、ありとあらゆるところへと適応放散していったのである。
本章ではごく簡単に遺伝子の一般的な知識、魚の系統について記したが、第2章以降、遺伝子が作り上げる魚の世界について、各分野の専門家が詳細に解説していく。
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