イギリスはインド全域を直接の統治下におくのではなく、その中に旧来の支配者が名目上統治する「藩王国」をモザイク状に配置することにした。そして、将来の支配者を忠実なに育成するために、藩王の子弟教育機関として設立されたのが、チーフス・コレッジと呼ばれる数校のインド版パブリックスクールであった。
ラージコートに作られたラージクマール・コレッジ(1870)を嚆矢として各地に建設されたチーフス・コレッジの教育は、イギリスのパブリックスクールと同じく英語の他ギリシア・ローマの古典語などのリベラル・アーツが中心であったが、イギリスと同様に、クリケットをはじめとするスポーツが人格形成の手段として取り入れられた。イギリスの植民地行政官たちは、スポーツを通じてインドの土着の支配者の子弟にスポーツの倫理を教え、イギリスの権益を守ってくれる現地人支配層を生み出そうとしたのである。