スペイン内戦中の1938年には高等学校で体育が必修になるなど、学校教育の中でも体の強さを求めた身体活動が実践されて軍事を強化していく流れにあった。
内戦の結果、1975年まで、スペインはフランコ独裁の支配下に置かれることになる。
まず1940年にはアカデミア・ナショナルが設立され、独裁政権が体育を管理する枠組みが作られた。学校では男女共学が廃止され、男子には厳しい軍事訓練のような体育が課された一方、女子にはスウェーデン体操や民族舞踊のみが教えられるようになった(図7)。
一方、1941年には国民スポーツ局により、地域スポーツの支配が始まった。フランコ政権は国民に厳しいジェンダー規範を課し、そのため女性のスポーツは、バスケットボール、バレーボール、体操などに限られ、陸上競技は許されなくなった。こうして体育・スポーツは独裁政権により全面的に掌握され、利用されていった。