1966年に自国開催したサッカーW杯における優勝は、スエズ危機以降、次第に実感されるようになっていたイギリス帝国の国際的威信低下の中で、自信回復の象徴となった。
それと同時に、サッカー場ではフーリガンと呼ばれる若者たちの問題が前景化してきた。彼らの暴力的な振る舞いは、父親世代の品行方正な労働者の娯楽としてのサッカーのイメージ、19世紀末から20世紀初めに成立した労働者階級をも含んだイギリス国民文化の権威への「理由なき反抗」でもあった。同じ前世紀転換期に建設されたスタジアムの大部分は、すでに老朽化が進んでいた。福祉国家政策が「イギリス病」批判と結びつきながら、サッチャー政権の誕生へとつながる1980年代までには、労働者階級の自治の象徴としての立見席は、フーリガンの集まる不穏な場所というイメージに変容していたのである。